故郷

Shiotamathi  2 -我が故郷 2005,11,2

おくんち 11月2・3日

この町の通りが、今年の10月に国の「重要伝統的建物保存地区に選定されたそうです。全国73ヶ所の1つです。 おくんちの二日間西岡家などが解放され職人の技が披露されていました。
佐賀新聞 10月28日付き
佐賀新聞 10月28日付き
重要文化財指定の西岡家の欄間 重要文化財指定の西岡家の2階の梁
重要文化財指定の西岡家の欄間 重要文化財指定の西岡家の2階の梁
丁度 町の建築設計士の方や大工さんがおられてお話を聞きました。
この欄間は何処にも無い、この目の詰まった木材の柱、長さと言い見事な事! と関心してでした。
米屋の書院の欄間のすかし 米屋のお座敷
米屋の書院の欄間のすかし 米屋のお座敷
おくんちの終わった翌日 関西からの3人娘さん達が見学に見えていてお座敷を見てもらいました。
この後三河内焼きへ行くとか・・・
下久間の田崎家 田崎家の蔵 もう1棟有る
下久間の (有)田崎製茶本舗 ureshino-tasakiseicha@nekonet.ne.jp
現在、製茶業で美味しいので取り寄せている
田崎家の蔵 もう1棟有る
嬉野茶 こさぎ 500g入り1500円

 も1つ とても美味しいのでお歳暮に使っているのが隣の鹿島市浜町 飯森酒造(0954−63-2595)の大根の粕漬大きさは樽詰めから箱入りまで有ります。 
 

Shiotamathi  -我が故郷 2004,6,17

故郷を離れて40年、2年ぶりに帰郷しました。
それも私にパソコンを始めるきっかけを作ってくれた実家の若いお嫁さんがガンと闘って5年、ついに36歳の短い生涯を終えたためです。
この町も少しづつ、少しづつ変わっているようです。昔、汽車が開通する前は佐賀県では牛津と塩田が川を通じての船からの荷揚げで賑わい、その辺り一帯の商いの町として栄え、長崎街道の宿場町でもあったようです。
最近、大学の民家の研究家が調査に見え、文化財としての申請をするような動きだそうです。
戦後も天草からの陶石をここで荷揚げをして、近辺の水車で陶土に加工して有田へ出していました。
我が家でも「天相日記」という嘉永3年頃の古文書が見つかり教育委員会古文書研究会で調査刊行されました。
金物屋 重要文化財指定の西岡家 金物屋裏側
重要文化財指定の西岡家 裏門(私達の子供の頃は無かった)
西岡家の方を向いての町並み 西岡家の方を向いての町並み
(子供の頃は金もん屋)
米屋・焼きもんや・まんなかの酢屋 米屋・焼きもんや・まんなかの酢屋
先ん酢屋・本森長(本森長は写っていない)
(子供の頃呼んでいた呼び名)
反対側の並びで「鉄屋 反対側の並びで「鉄屋」
本應寺の表門と本堂 本應寺境内の樹齢160年の楠木
本應寺の表門と本堂 本應寺境内の樹齢160年の楠木
正連寺 正連寺
(お裁縫やお花・お茶のお稽古に行った)
元薬局(3階建て)だったところが模様替えしてレトロ館に 館内の陳列
元薬局(3階建て)だったところが模様替えしてレトロ館に 館内の陳列
町裏・川下に向かって 町裏・川上に向かって
町裏・・・川下に向かって 町裏・・・川上に向かって
上福の天神さん マンホールのふた
上福の天神さん マンホールのふた
本應寺山から・少し高いのが立伝寺 錦江亭の墓
本應寺山から・・・少し高いのが立伝寺 錦江亭の墓
天相日記表紙 天相日記中表紙
日記の中に町の通り1軒1軒を屋号で 上2点は天相日記表紙



左は日記の中に町の通りの
1軒1軒を屋号で書いてある
ホテル ハミルトン宇礼志野 嬉野温泉へ車で15分
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佐賀平野を車中から 最寄の駅 肥前鹿島駅
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